第69話 清水にて

2010年10月11日(月) 21時10分
本日4回目の更新です。

大学時代の心に残るチャレンジの旅を書いてましたが、

13日わたる私の徳川家康の史跡を歩いてまわる旅も

久能山東照宮でゴールを迎えました。

ゴールをして、ここからは乗り物を使い

自宅へと帰ります。



ロープーウェーを使い、日本平まで行き

そこから、バスで反対側の麓、清水へ降りました。

しかし、私にはもう一つ寄らねばならないところがありました。

それは、当社の商売繁盛の神様である清水の美濃輪稲荷に立ち寄る事



毎年、元旦に来る美濃輪稲荷ですが

元旦以外に来たのは、これが初めてだったと思います。

参道の当社「マルハチ」の鳥居を確認し



お宮へと向かいましたところ



宮司さんがいましたのでお声をかけました。

その時の事は、今でもお正月元旦には必ず宮司さんが息子たちに言います。

「お父さんは、それは汚い格好をして重そうな荷物を背負って立ってたんだよ」

と・・・・・(笑)

予期せぬ訪問者にお祓いをしていただき

私は近くの「清水の次郎長の生家」に立ち寄りました。



ここで、お土産用の大きな黄色い団扇を買い

御主人に頼んで、ある文字を書いてもらいました。

これは私のこの旅の思い出として

今も残っていますが



表に、家康の本陣周辺の使番(伝令将校)たちの目印の

「五」を書いてもらい



裏には、歩いて私が見て回った史跡をすべて書いてもらいました。


ご主人は、こんなこと書くのは初めてだよ!

と言ってました。・・・・・・・(笑)

この後、清水の八木家本家に挨拶し

帰宅の途に就いたのです。



このお話はこれでおしまいです。


自分でも拙いと思う文書を

最後まで読んで頂いて有り難うございました。



さて、明日からは元のブログに戻るはずです。

お気づきの方もいらっしゃるでしょうが

実は、この徳川家康の旅の記事は

すべて、事前予約して書いてあった物です。


この間、私は長期で海外に居まして

諸事情により、長期間の不在を隠す為、このような長編を書いた訳です。

途中コメントなどへの承認が遅れた事などお詫び申し上げます。

無事帰国していれば、明日からは元に戻ります。


また、お付き合いの程、よろしくお願いいたします




第68話 完歩!久能山東照宮まで

2010年10月11日(月) 16時34分
本日3回目の更新です。

大学時代の心に残るチャレンジの旅を書いてます。

この旅のいよいよ最終日

歩き始めて13日目の事です。

前夜ゴールの久能山東照宮の麓にテントを張った私は



東の空が明るくなるのと同時に、行動を開始しました。

早朝で、東照宮への参道の店は一軒も開いてませんでしたが



急な石段を一段一段登っていきます。



重いザックを背負いながら

家康の遺訓

人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし、いそぐべからず、不自由を常とおもへば不足なし、こゝろに望おこらば、困窮したる時を思ひ出すべし、堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもへ、勝事ばかり知りて、まくる事をしらざれば、害其身にいたる、おのれを責て、人をせむるな、及ざるは過たるよりまされり。

を改めて噛み締めていました。

まさにこの旅が私に肌身で教えてくれた事ですから!

そして、頂上まで来るとまだ山門は開いてませんが

海がきれいに見えてました。




駿府城で死去した家康の遺骸は遺言通り

この久能山まで登ってきまして

一年間、西向きに立ち姿で葬られました。

西には、外様大名もいますし

その先には、南蛮(スペイン・ポルトガル)や紅毛(イギリス)もあります。

当時、ヨーロッパでの宗教上の争いから日本を守る為、

彼が鎖国をしたのは有名ですよね!

国内の平定と、国外からの侵略を拒み、

江戸時代は、他国に類を見ない平和な時代となったのです。

その偉業には、多くの苦難や悲しみがあった事を、私はこの旅で肌身で感じる事が出来ました。



しばらく、ここからの眺めを堪能していると



ギギーと山門が空きました。

職員さんが、すぐに私を発見し

「こんな時間から、何やってるの?」と驚いた眼で聞いてきましたので

愛知県の熱田から、家康初陣の大高城、丸根砦、

桶狭間の合戦の地を通り、家康の故郷岡崎城

武田との攻防の吉田城、野田城、長篠城、天竜二俣城

第二の居城である浜松城を通り

横須賀城、掛川城、田中城、駿府城を通って

13日歩き続けて、ここまで来た事を話すと


「さぁ まだ時間前ですが、入ってください。」と東照宮に入れてもらえました。



入館料を払おうとする私に

「家康公の史跡を歩いてまわるあなたからは頂けません!」

と無料で宮司さん自ら案内してもらう事になり



家康の墓の前で手を合わせると

自然に涙がこぼれてきました。



その後も宮司さんは

「あなたには特別に、普段公開していない宝物殿も見せてあげましょう」

と家康のまつわる数々の品を見せてくれました。



この旅の終着地で

ここまでしてもらえたのは、最後まであきらめない努力と

多くの方々のご支援があったからです。

最後に、西に向かい手を合わせ

多くの方々へ感謝しました。


そして、お話は最後へと続く

第67話 ゴールは間近

2010年10月11日(月) 11時52分
本日2回目の更新です。

大学時代の心に残るチャレンジの旅を書いてます。

本日は、この旅の歩き始めて12日目の事です。

駿府城を過ぎ、家康が少年時代

人質として勉学に励んだ臨済寺を見学です。



ここで、雪斎和尚に学んだんですね!

そして、近くの浅間神社なども参拝し

線路を超えて一路、久能山のふもとへ向かいました。



もうゴールの久能山は間近です。

その日は、陽が暮れて

どこかの大学前を通り過ぎると

サークル帰りでしょうか?

女子大生がやたらと多く、私が歩くバス道路で

かわいい女子大生たちがバスを待っていましたが

汚い格好の、大きな荷物を背負った私を、変な目で見てました。(笑)

でも不思議と恥ずかしさは無く

今まで世話になった人達への感謝やら、応援してくれていた人達の願いに応える事が出来た事に

かえって誇らしささえ有りました。


結局、その日は無理して久能山の麓まで歩き

翌日、早朝にゴールを迎える為、テントを張ります。

とあるお寺の門外に張らせてもらう事が出来ました。



ここで最後のテント生活をして、翌朝に備えます。

最後の夜は、色々と考えさせられるものがありました。

見も知らない人たちが、私を泊めてくれたり

食事を差し入れてくれたり

しかし、彼らは私に何も見返りなど要求していません。

人生の先輩たちに、多くの元気を頂き

自分が、社会人になったら絶対に恩返しをするんだ!

しかし、道ですれ違った人やら、ほとんどの人が連絡先など知りません。

その恩返しとは、その人達への直接のものでは無く

私と同じように、悩み苦しみ頑張る人達への同じ様な応援をする事!

「人生の先輩としての、見返りのない親切」

とこの時感じました。



つづく



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文具・事務用品・OA機器・スチール家具などを扱う、株式会社マルハチの社長、八木幹雄のブログ。
本社所在地は、神奈川県横浜市鶴見区の鶴見銀座商店街(ベルロード鶴見)にあり
普段は地域のイベント活動などに貢献して、地域密着の企業活動を行っている。
将来歴史研究家になる事を夢見ている。
好きな事は、グウタラな生活と豪語しているが
なかなかそうも行かないのが悩みの種!

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